一昨年、平成22年7月の田中神社改修の為の神社役員の報告書によれば、田中神社の宮の森が昭和6年までは、宿南小学校のプール付近にあったようだ。
小学校付近の宅地図面(字限図)を見ると宿南字 宮の本478番地、479番地があり現プール辺りの水路で囲まれている所が神社跡のようである。渡辺武一伝によれば宿南村の中心に有り『うぶすなの森』と言われけやき・いちょう・杉・桧等数百年経ったうつ蒼とした森があった。籠り堂、相撲場有りその時代の子供たちを育んでくれた鎮守の森も神社が今の田中神社に合社された後は、昭和40年頃までは学校の畑として役立ち、又近隣の学校では最も早く昭和33年頃には独自で学校給食も始まり、児童の食材生産に役立ったのだと思う。これもお宮さんの御蔭であろうか。
(昭和5年頃の増築校舎で宿南中学校教室は宿南農協として平成16年まで健在であった)
川西区の片山隣保では、この鎮守の森を偲び『産土講』として正月の九日に隣保夫婦正装で揃い、天照大神の軸を懸けて、生米、塩、いりこ、で清め、お神酒を戴く新年会を行う習わしが平成20年までありました。
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