かって青山区では、農林業や養蚕が盛んで、豊かな生活が営まれていました。歴史をたどってみますと、宝暦年間の戸数は28戸、明治22年には32戸、そして大正9年には28戸で人口は143名と記録されております。このように先祖たちは、土と共に生き、山林を愛護し、養蚕の生糸を尊ぶ、このような生活の中から、ざんざか踊りが生活文化のひとつとして生まれたものとして受け留めております。
古事によりますと、宝暦年間は日照りが度々続きましたので、村人達は大蔵大明神に、雨乞いを祈念しました。その年間には、秋の祭礼日にざんざか踊りを奉納する習わしがあったといわれております。
現在青山区の長老であります多田豊元区長は、大正時代にざんざか踊りの子役として踊ったことがあると言われました。しかし、再興は不可能であると申されました。
かつてざんざか踊りを奉納したときの古道具の一部が残っておるので、大切に管理していただきたいとの申し出がありました。
このように、すばらしい生活文化の遺産を生かした先祖の足跡を大切にして、再生青山集落の建設のため努力して行きたいと考ております。
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