幕末から明治初期にかけての動乱期に、一切この動きには関与せず学問を貫いた一人の学者がいた。草庵は文化10年(1813)7月、宿南に生れた。12歳で満福寺に預けられ不虚上人(但馬高野といわれた満福寺住職)から仏道を学びさらに道徳の基本を身につけた。18歳の時に上京し相馬塾に入門、儒学者相馬九方の教えを受け塾頭にまでなった。
23歳の時に塾を去り「松尾山」にこもり独学で自らの目指す学問を究め、30歳で八鹿に帰り立誠舎を開き、弘化4年(1847)草庵34歳の時に宿南村の源氏山の麓に塾舎を建てた。
青山川の静かなせせらぎを聞く山間の茅葺の「青谿書院」で塾生と共に質素な生活を選ばれ35歳から66歳までの32年間、700名近い塾生に講義しながら、自身も学問を深め修養された。その中には明治期の日本の政・財・学界に多くの逸材を輩出した。
164年経った今も門人が開塾記念に植えたモミの木が気高く・強く・大きく天に向かってそびえ、当時の面影を残している。
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